はじめまして、大好きなあなたへ

 

 

 

 

 

 

 

私が彼を、彼らを好きになった時、私たちは彼らに会う術を持たなかった。

 

 

 

財力、執念、運、そんなものはほとんど関係なく、彼らを好きな人全員平等にその権利はほぼ無かったと言っても過言ではないだろう。いや、実際のところ少しは関係があったのかもしれないけど、私の立場から彼らに迷惑をかけない、彼らの日常が守られるようにあるためには関係なく。

彼らを様々な観点から守るために彼らに会うという選択肢はなく、画面越しでパフォーマンスを見て、私にとってはまだ見ぬ(いや見てはいるんだけど)彼らに焦がれるしか無かった。

 

 

 

彼らに会えない期間が一体いつまでなのか、それは全く見えなくて。

そもそも自分が彼らと会いたいと思っているのかすらもよくわからなかった。会うのは怖かった。これについては以前書いた別のブログでもちらっと書いてある。(私が初めて公開したブログ『1歳の君たちに寄せて』のまとめのちょっと前あたり。まあ、実際怖いな、って感情はずっとあったし今でもうっすらある、多分これからどんな機会で何度あっても変わらずあり続ける感情な気がする)

ただただ、彼らから提供される『Snow Man』、彼から提供される『佐久間大介』というコンテンツが好きだった。

これまで生きてきた中で、オタ活に関しては、次元が違ったり、親金に頼る発想は無かったり、ジャニーズよりは私たちに身近…というか交流が持ちやすい?人を応援していたり、様々な理由で会いに行かずとも満足しながら応援してきた。

その間、ジャニーズはずっと『画面の中の人』だった。認識として、ジャニーズというか私の中で有名な人には会えない、会わないことが当たり前だったし、例えそれが推しであろうとも"会う"こと自体が私にとって当たり前じゃなかったので、推しであり、そもそも画面の中の人であるジャニーズに、それもこれまでのオタ活の中でもかなり全身全霊をかけて応援している相手に会ったらどう感情が動くのか分からなくて、もしかしたら『好き』の気持ちすらよく分からなくなるんじゃないかと思って怖かった。

 

 

 

私のそんなめんどくさい思考には関係なく、彼らは輝いていた。

いや、もしかしたら、これまで生で彼らを見て応援してきた人の中では、失望したり、飽きたり、次第に彼らから離れていった人もいるのかもしれない。

それでも、私にとっては、私の生活の中で1番輝かしいのは間違いなく彼らで、彼らを応援する事は次第にライフワークになり、もし彼らを知らないままこのコロナ禍を迎えていたら自分の精神や生活がどのようになっていたのか分からないくらいだった。

 

私が応援し始めてから、2時間生配信、ハッピーライブ、デビューコンサート、1周年の生配信、その他日々発売される雑誌や公開されるYouTube、パフォーマンスを披露する音楽番組、それぞれのメンバーや時には全員で呼んで頂いたり、作り上げるバラエティの中で彼らは彼らの人気を確実なものにしてきた。

でも、たとえ生放送だったとしても、どうしてもそれは画面越しでしかなくて。「今この瞬間、彼らは私たちに届けるためにパフォーマンスをしているんだ」と思ってもどこか現実味がなかった。

 

 

 

その数々の『画面越し』の瞬間の中で私が1番「今」を感じたのは、デビューコンサートのオーラス、佐久間さんの最後の挨拶だった。

 

本日はありがとうございました!

みんな、Snow Manのデビューライブだよ!信じられないよね?だって俺たちここまでくるのに15年とかやってきて、何にもできないこともあって…ここまでこれたのは本当にみんなのおかげです。

だから今日はたくさん感謝を伝えたいです。ジャニーズを見てくれてありがとう。その中で俺たちを見つけてくれてありがとう。応援してくれてありがとう。生きててくれてありがとう。きっとジャニーさんも見てくれてると思う。

生きてれば絶対、生きてさえいれば絶対また会えるから、生きててください。みんな絶対に会おう!本日は本当にありがとうございました!

 

 

 

この言葉を受けながら「ああ、私、彼に会いたいんだ。会わなくちゃ分からないことがあるんだ」と漠然と思った。もしかしたら、彼に会いたいと思ったのはこの時が初めてだったかもしれない。

彼が私たちに会いたがっていて、多くの"私たち"も彼に会いたいと思っているのに、中々彼に会う機会を持てなくてもどかしい今みたいな時間の中で『生きる』という選択肢を諦める事を許してくれない彼を、どうしても愛おしいと思った。いずれ絶対に会ってやると思った。それまで会いたくないのかもしれないとすら思っていたのに。

 

そして、そのタイミングは思ったよりも早く来た。

 

 

 

 

 

滝沢歌舞伎ZERO2021が観客を入れてやることが決まっても、私の中で『有観客』のワードはどこかはっきりとせず、ぼんやりしていた。有観客、抽選、ということは私が短い間で応援してきた今までと違って、限られた人しか彼らのその瞬間のパフォーマンスを見ることが出来なくて。

私がリアルタイムで見てきたジャニーズのライブや舞台は全て無観客のものだった。お客さんがいる現場はDVD化されたものでしか見た事がなく、当たり前のことなのに私にとっては現実味がなかった。

それに、私が今まで経験してきた現場は、1度のドーム規模のライブを除いて、会場内での自分の行動が大切になるような席のとり方だったり、もはやどこで見たってあんまり変わらないような大きさの箱だったりで、ジャニーズの現場というものは全く想像がつかなかった。

 

 

 

私がこれまでの人生で今まで様々な人を応援してきたときは、なんだかんだ言いながら結局現場に入ることが出来ていた。だから、正直少し舐めていたと言えば舐めていたし、FC先行の結果が出て新橋公演で全落ちした時、パフォーマンスを見ることのハードルの高さに、ちょっと引いた。 

 

可能性があるのに諦めるのは性格的に出来なくて、気がついたら12時間以上同じ電話番号に電話をかけていた。

歌舞伎会のチケットは、Twitter上では「思ったより取れるじゃん」って言われてたけど、延々と電話をかけ続けていた人たちはSNSに顔を出すことが出来なかっただけだと思う。そんなこと言いながら私はちょいちょいTwitterを覗いていたけど。

こんなに繋がるかも分からないような、繋がってもいつどんな席に入れるか分からないような状態なのに電話をかけ続けて、きつい、しんどい、と思わないわけではなかったけど、絶望する気持ちが高まるというよりは、ここまでして私は彼に会いたいと思っているのか、とどこか客観的に自分を見ていた。

 

 

 

 

 

4月に入って、チケットが手元に来た。

4月10日、土曜日、夜公演、A席、滝沢歌舞伎の幕が開いてから3日目のチケット。どうせならレポを「あ〜、この場面ね?」と思いながら読みたいからなるべく早い公演に入りたい。早々に初日のチケットは売り切れてしまって、私の電話が繋がった時にはもう9日のチケットも売り切れてしまっていて、ちょっと早起きには自信が無いので夜公演。

ここで適当に決めた、私にとって初めてのジャニーズの、Snow Manの現場の日程が、この先の私の運命を左右する。

 

 

 

 

 

今年のMaybeにも佐久間さんはいない。

私が入る前2日分のレポを見て現場に入った。

何回も通った滝沢歌舞伎ZERO2020The MovieのMaybeにも彼はいなかった。ちょうど私がジャニーズのオタクを始めた頃に予約が始まって手に入れた滝沢歌舞伎ZEROの初演での演目とは変わり、映画では、彼には別の演目での見せ場が用意されていたから、少し寂しいと思ったけど昨年の時点ではあんまり考えないようにしていた。それでもいくら新規だとはいえ、彼にとって、滝沢歌舞伎にとって、彼の尊敬する先輩にとって、佐久間担にとって、Maybeという演目は特別で大切なことは理解していて、それはまだ知識の浅い私にとっても例外ではなかった。だから、考えないようにしていたのかも。

 

正直、悔しくないわけがなかった。彼が出る"見せ場"の演目は、今年の滝沢歌舞伎では歌舞伎演目以外用意されてなくて、あの表現力をどうして生かさないのだろう、と思った。Maybeは彼の表現力を魅せるにはぴったりの演目なのに、と思っていた。

それでも、彼がそれでいいなら、彼が今年の歌舞伎に納得しているなら私はそれを受け入れようと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前で幕が開いてみれば、他のメンバーより出演する演目がひとつ少ないことくらい何も関係が無いとすら思った。

他のメンバーが出ている演目も十分魅力的だし、何より1番最初のひらりと桜で彼が真っ直ぐ前を見ていたから。その目は、表情は、今まで画面越しに見てきた表現する彼そのものだった。彼は自分の表現に満足せず、それでも計り知れないオーラと彼らしさと、もっとたくさんの何かを、真っ直ぐその先を見据えて放っていた。

今私が受け取れる全ての彼を受け取ろう、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

阿部くんを捉えていた私の視界の端で、ちらちらと黒が舞った。

見間違えかと思ったし、私の幻覚かと思った。

その公演から、彼はその舞台に戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから、私が特に感銘を受けた演目を、佐久間さんにフォーカスして述べようと思う。

 

 

 

  • Maybe

 

 

 

正直、この時のツイートが全てなんだけど。

あんなにも存在感があって、そこに佐久間さんがいて、嫌という程彼に目を奪われるのに、彼は『影』だったのが印象的だった。

あくまでどこまでも『影』で、不安や悲しみをぎゅっとして押し込めた存在に見えるのに、これまで見たどの映像のMaybeの彼よりもそこに力強さというか……今の、2021年の佐久間大介がそこにいた。

 

あれは絶対に絶対に映像に残して欲しい。

これはあまりにも私利私欲だけど。いいんだよそんなことは。彼の2021年を残さない訳にはいかない、そんなの我慢できないでしょ、と私は思ってしまう。彼は1年、1ヶ月、1日、1瞬1秒、その28年の時を超えて、今も新しい時を歩んで、その時を全部表現にのせてくれるから。だから"今"を残して欲しいと思う。彼を余さず。

17年生きてきた彼の"陽"の表現も大事だけど、28年、紆余曲折経験してきた彼の"陰"の表現があってこそ引き立つ気がするから。やっぱり彼らの今、全身全霊を映像として残してくれ、松竹。

 

思わず暑くなってしまいましたね。いやー、結局人類はMaybeに抗えない。そういうこと。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、私はThe Movieのアンケートの時点で、佐久間さんの項目において組曲を選んだくらい彼の組曲が好きだ。

組曲は、バラバラじゃないのに個性があって、個性があるのにステージ上の全員が同じ方向を向いている、そんな演目だと思っている。

全員がギリギリなのが伝わってきて、なんならこちらの生命力まで吸い取っていくような演目が、怖いと思うくらい好きだ。

 

私は佐久間担なので特に佐久間さんの踊りばかり見ているけど、彼の組曲は全部をこちらに預けるような、これが終わったらそのままぷつりと糸が切れていなくなってしまいそうなところがある、と私は思っている。

そして、やっぱり生で見る組曲も間違いなくそうだった。

 

しばらくして、この組曲の演目は時間の関係上省略してされてしまう。実際、私がもう一度入った舞台では組曲はもうなかった。

それでも、「見なくて良かったかも」なんて思うくらい、ちょっと苦手で大好きな演目、組曲

佐久間さんが語るのは、やっぱり2部だとか、女形だとかが多いから、彼が組曲に何を託しているのか、その表現以外から知ることは出来ない。そういう、幅を持たせるような演目なのも、好きな一因なのかもしれない。

 

怖くて、疲れて、見てられない、と思うような演目だけど、もしまた見ることが出来るのであれば絶対に見たい、そんな演目。

 

 

 

 

 

  • 花鳥風月

 

 

組曲、と来たら花鳥風月。

これは、私の個人的な捉え方なんだけど、佐久間さんの踊りは組曲でウワア!と佐久間さんを構成する大切なものたちを撒き散らしたあとに、花鳥風月でひとつひとつ大事に大事に集めているように見える。

 

どちらの演目も同じように感情で、表情から踊る彼だけど、組曲は寂しくて怖くて強くて、花鳥風月は優美で優しくて脆い。そういうところが好きだ、そんな感情を受け取っているのは私だけかもしれないけど。

 

映像でも、現実でも、やっぱり花鳥風月の佐久間くんは綺麗だった。綺麗すぎた。

花鳥風月は"自然界の美しい景色、風景"を表し、"風流なこと"を言うらしい。

踊っている時の佐久間さんは、間違いなく"花鳥風月"だし、『花鳥風月』中の佐久間さんはより"花鳥風月"だな、と感じる。

彼の花鳥風月が、狂おしいまでに伝わってくるその時間がとてもとても愛おしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばばば、と書き上げてみて言うことではないけど、やっぱり佐久間さんの演技は、佐久間さんの踊りは、佐久間さんの表情は、佐久間さんの表現は、言葉で表しきれるものじゃない。当たり前だけど、もっともっと深くて広くて大きくて、直接見ても上辺しか分からないことに絶望するくらい。

 

結局、言葉にすることからは、「私は佐久間さんが大好きだ」ということを強烈に自覚させられる側面が大きかった。

私は、私に対しても素直じゃないから、言葉にしなきゃ見えない自分の感情もあって。こうやって人様に見ていただくためにつらつらと文章にしていることで、好きをたくさん自覚して、また好きを深める。こんな所で言うのもあれだけど、こうやってブログを書いて自分の気持ちを整理することはこれまでのオタ活の中でしてこなくて、それは今こうやって佐久間さんを大好きな感情の中で必要不可欠な工程なんだと思う。私にとって。いや、滝沢歌舞伎感想ブログの中で出る結論じゃないよね、わかる。

 

 

 

まあこんなに、書いたけど、うん、出た結論としては佐久間大介が大好き」ってことです。以上!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この文章を書きはじめたのは2021年4月11日、気がついたら1年も経ってて、その間に複数回佐久間さんに会ってて、気がついたらそれ以上会ってる担当が増えてて、オタクとは毎月会ってて、今、

 

2022の演目を見て、これを供養しなければと思いました。

 

Maybeに激重感情を抱く理由がこの春増えてしまい、もしかしたらこのままだと逆にもっと重い感情になる……のでは……?

 

たぶん、夏頃からほぼ推敲してないけどあえてこのまま出します。

2022年の歌舞伎に、私の好きな佐久間大介がいますように。

 

2022.03.29