『推し、燃ゆ』の彼女が羨ましい

 

 

 

かの小説で描かれた彼女は雑誌、ラジオ、テレビ、様々な媒体の推しの発言を切り取って確認して、それをひとつひとつ吸収することで推しを理解するということを根底にオタクをしていたが、実際、現実では不可能だ。

 


私たちは、綺麗に切り取られた彼らの一面しか知ることは出来ない。

 


現実では、小説内で描かれた彼女のように、雑誌、ラジオ、テレビ、全部の媒体を総ざらいしてもそれは彼らが作り出した1人のアイドル、偶像を掴む結果にしかならない。その偶像は流動的で常に変わっていく。私たちオタクは、本当の彼らを知り、彼らがその時々で描き出すアイドル像を完全に把握することは出来ない、と言っても過言ではない。

 


年間320誌以上に掲載された彼らの言葉は、彼らの言葉であって彼らの言葉ではない。少なくはない人間の手を通って私たちの元に届いている。言葉って、生き物だ。温度があって、環境があって、相手がいて、それで成り立つ。雑誌では温度は伝わらないし、環境も思い浮かばない。彼らが伝えている相手は私であって、実際問題私ではない。

今この文章を読んでいるあなたも、私と直接会ったことがある人、ない人、今まで2人で話してきた内容、もしかしたら特に話したことがない人、それぞれで言葉の受け取り方が違うだろう。直接会って、私の温度を知っている人には私の言いたいことは伝わっているかも知れない。でも逆に、普段こんなに真面目に話すタイプではないから、全然伝わってないのかもしれない。彼らの言葉だって同じで、私たちと違う人間が受け取った言葉をただ紙に印刷された文字という情報に落として私たちの元に届けてもらっているわけだから、それにそれを受け取る私たちだって知っている「彼ら」は人それぞれ違うわけだから、それから得られる「彼ら」はひとりひとりによって大きく違うだろう、と思う。彼らはそれも理解してその中でいかに私たちに分かりやすく、伝わりやすく自分を表すかというのを考えているだろうけど、少なからずあるであろう聞き手側の先入観や考え方によってそれはほんの少しでも曲がってしまっているであろうことは否定できないと思う。

 


ラジオはそれに比べると生身だ。テレビは尚更。表情も見えるし、感情は声に乗る。でも、わたしは天邪鬼なオタクなので、彼らには「話してはいけないこと」「話していいこと」があるんでしょ?と思ってしまう。ラジオにはラジオの、テレビにはテレビの、スポンサーも対象にしているリスナーも視聴者もいて、それは私たちオタクだけではなくて世間一般のたまたまそこで彼らに出会った人も含まれる。私たちオタクが受け取る彼らと、初めてそこで彼らを見る人が感じる彼らを出来るだけ近づける努力をすることだってあるだろう。結局、そこにはあるのは彼らがマネジメントする自分だ。

 


私が応援しているグループは過去に大きな変化があって、それに対するオタクたち、メンバーたちの感情は様々だった、と思う。と思う、というのはわたしはその時を直接見ていないから、実際知らないから。私は踏み固められた大地になった彼らしか見ていなくて、まだ柔らかい土壌だった彼らを知らない。その時から知っていたら今、こうやって楽しくオタクしてるか、と言われたらまたそれはちょっと難しい気もするので、出会ったタイミングに関しては後悔していないけれど。あ、嘘。推しコンビの2人での外部舞台を見に行けなかったことだけは本当に悔やんでいる。話が逸れたな。正直、知らないことを言葉にすることはあまり気が進まないけれど、私が話したい「彼女が羨ましい」を語るには必要不可欠な事だから、話そうと思う。

 

その時の彼らの言葉を見ると、今でも話している内容を聞くと、それはそれは複雑だったのだろう、ということが感じられる。いや、それは当たり前なんだけど。彼らの言うことには現状でもまだブレがあったりする。彼らにとって、たぶんどの感情も本当で、嘘ではないんだろう。というかそう思いたい。そう思わないと救いがない。でも、それは彼らが話せる範囲で、の話だ。これは、救いでもなんでもない、事実。

私は決してあの感情が、彼らが抱えた感情全てだとは思っていない。人間なんだから悔しい気持ちだって、怖い気持ちだって、まあマイナスな感情をお互い、どちらの立場のメンバーもオタクも抱えていて当然だろう。でも彼らの言葉からそういった温度はこれまであまり感じなかった。ちゃんと言葉に表してくれるメンバーがいないわけじゃないけど、いつも強くあったその姿にどれだけの苦悩や苦しみがあったんだろう、と考えたのは1度じゃないし、彼らを応援する中でその感情を想像することはたぶん、みんなしている。でもそんな気持ちは、どこかの誰かの手によって私たちの元には届かない。それがタレント本人かもしれないし、事務所かも知れないし、編集側かもしれない。何が悪い、とかじゃなくてそういうのを隠すのが「アイドル」で、彼らじゃないほかのアイドルたちも、いろいろな問題を抱えながら今も笑顔で私たちを励ましてくれる。

でもそうやって濾過されたものしか受け取る術のない私たちにとって、彼らの真意がそこで捻じ曲げられてしまったかもしないことは事実で、私はその事実がある以上、たぶんこれからどのタイミングで、どんな媒体であの時のことを語られたとしても疑ってかかってしまうと思う。あの時を一緒に過ごしていない私でさえ、だ。それは巡り巡っていろいろな他のことに答えている彼らの言葉すら、疑ってかかってしまう現状に繋がっている。

 


だから、彼女が羨ましい。現実を生きる私にはああやって推しの全てを知る喜びは分からない。私が応援する彼らは、生身の人間なのでその時々で描きたい姿、目指す姿が変わっていく。だから、一生かかっても私たちは彼らを分析し尽くせない。彼女が応援する推しのように変わらないアイドルもいいと思うけど、少なくとも私は夢を叶えたらまた新しい夢を両手にたくさん抱えて走り出して、理想がどんどん大きくなる彼のことが大好きで大好きで堪らないので、羨ましい、とは書いたけれど全部そうなりたい、とは思っていない。

そういうことがあるから、オタクって楽しい。

彼女の推しだってこれまでたくさん変わってきて、それを彼女は分析してきたのかもしれない。実際、後半、変わっていく彼を理解しようとしていたし。でも、それは彼の言葉が濁りなく届く環境にいたからできることだ。もしくは、濁りを濁りとして捉えてないから。わたしはそれを1度気にしてしまったから、もう彼女のような推し方は出来ない。

 

 

 

 

 

「戸惑いはあった でも迷いは無かった」

 

その言葉に小さく頷く彼らが、それを受け止めるなら。それが彼らの感情の、また新しい説明なんだろう。正直、私は今まで受け取ってきた、その事に関する言葉の中でなかなか上位にランクインするくらいしっくり来た。迷いなく走り抜けてくれた彼らが輝いていたから、私は彼に、彼らに惹かれて今ここにいて、そういう戸惑いも全部抱えて走りたいと思える。

これから長く彼らを応援する中で、また新しい言葉が私を納得させてくれるかもしれない。でも暫くは、この言葉を大切にしてまた彼らを見守っていこう、と思った。

 

 

 

 


なんか結論がどこかに行ってしまったのでこの辺で!

 


改めて、それスノ地上波レギュラーおめでとう!

彼らがこれからも嘘なく笑える現実でありますように。

 

 

 

 

 

  • 追記

 

今、書き終わってページを閉じて、ブログは?彼らから伝えてくれる短い動画(ザム)は?と思った。

 

ブログやザムはそういう観点でいえば、彼らが私たちに思いを伝えてくれる媒体としては1番近しく彼らを知れる場だと思う。だからこそ月イチではなくもっと投稿できるようにして欲しい、という声もあるし、ザムはISLANDTVを引き継いできた。

でもブログにだってザムにだって少なからず「大人」の目はあって、完全に自由な彼らでは無いし、彼らは彼らの偶像を商売にしているので、私たちに伝える言葉や姿はあくまで1部でしかない、綺麗なものでしかないだろう。だから、私は多分やっぱり信じられない。申し訳ないけど。

 

ブログもザムもいつだって心待ちにしているし、彼ら自身の言葉で伝えてくれる、温度を感じられるそれはこれからも大切にしていきたい、という気持ちはもちろんある。それでも天邪鬼な私は変わらないよなあ、と少しの諦めを持ちながら、私は毎月18日を楽しみに生きている。来月の彼は、どんな感情を教えてくれるだろうか。

 

 

 

  • 追記2

 

これを投稿する前にらじらーの卒業が発表された。うん。率直に寂しいな。

制約は無いわけじゃないけど、彼らの思ったことをその場で言葉にして、それを編集なしに公共の電波で流す、そんな1時間を交代制にせよまあまあの頻度で楽しませてもらっていたわけだから。私がここで書いた条件のある言葉たちの中だったら、もしかしたら、らじらーというコンテンツは私たちに直接彼らの言葉を1番濁りなく伝えてくれてたんじゃないかな。

ラジオって顔が見えない分、声に集中出来て、だからこそ言葉も入ってくるな〜と思う。ほら、直接話すよりも電話での方がきちんと相手の話を聞けたりするじゃん?しない?そっか。それを1時間も生で、って本当にすごいことだったよな〜と今更になって思う。

彼らのステップアップには必要な終わりなんだろうけど、あったものが無くなるのは寂しいね。こういう節目でしかそのありがたみを実感できない人間性なのどうにかした方がいいな〜と思いながら、少し感傷的になる昼下がりでした。

どうせなら、最後はいわふかがいい。