はじめまして、大好きなあなたへ

 

 

 

 

 

 

 

私が彼を、彼らを好きになった時、私たちは彼らに会う術を持たなかった。

 

 

 

財力、執念、運、そんなものはほとんど関係なく、彼らを好きな人全員平等にその権利はほぼ無かったと言っても過言ではないだろう。いや、実際のところ少しは関係があったのかもしれないけど、私の立場から彼らに迷惑をかけない、彼らの日常が守られるようにあるためには関係なく。

彼らを様々な観点から守るために彼らに会うという選択肢はなく、画面越しでパフォーマンスを見て、私にとってはまだ見ぬ(いや見てはいるんだけど)彼らに焦がれるしか無かった。

 

 

 

彼らに会えない期間が一体いつまでなのか、それは全く見えなくて。

そもそも自分が彼らと会いたいと思っているのかすらもよくわからなかった。会うのは怖かった。これについては以前書いた別のブログでもちらっと書いてある。(私が初めて公開したブログ『1歳の君たちに寄せて』のまとめのちょっと前あたり。まあ、実際怖いな、って感情はずっとあったし今でもうっすらある、多分これからどんな機会で何度あっても変わらずあり続ける感情な気がする)

ただただ、彼らから提供される『Snow Man』、彼から提供される『佐久間大介』というコンテンツが好きだった。

これまで生きてきた中で、オタ活に関しては、次元が違ったり、親金に頼る発想は無かったり、ジャニーズよりは私たちに身近…というか交流が持ちやすい?人を応援していたり、様々な理由で会いに行かずとも満足しながら応援してきた。

その間、ジャニーズはずっと『画面の中の人』だった。認識として、ジャニーズというか私の中で有名な人には会えない、会わないことが当たり前だったし、例えそれが推しであろうとも"会う"こと自体が私にとって当たり前じゃなかったので、推しであり、そもそも画面の中の人であるジャニーズに、それもこれまでのオタ活の中でもかなり全身全霊をかけて応援している相手に会ったらどう感情が動くのか分からなくて、もしかしたら『好き』の気持ちすらよく分からなくなるんじゃないかと思って怖かった。

 

 

 

私のそんなめんどくさい思考には関係なく、彼らは輝いていた。

いや、もしかしたら、これまで生で彼らを見て応援してきた人の中では、失望したり、飽きたり、次第に彼らから離れていった人もいるのかもしれない。

それでも、私にとっては、私の生活の中で1番輝かしいのは間違いなく彼らで、彼らを応援する事は次第にライフワークになり、もし彼らを知らないままこのコロナ禍を迎えていたら自分の精神や生活がどのようになっていたのか分からないくらいだった。

 

私が応援し始めてから、2時間生配信、ハッピーライブ、デビューコンサート、1周年の生配信、その他日々発売される雑誌や公開されるYouTube、パフォーマンスを披露する音楽番組、それぞれのメンバーや時には全員で呼んで頂いたり、作り上げるバラエティの中で彼らは彼らの人気を確実なものにしてきた。

でも、たとえ生放送だったとしても、どうしてもそれは画面越しでしかなくて。「今この瞬間、彼らは私たちに届けるためにパフォーマンスをしているんだ」と思ってもどこか現実味がなかった。

 

 

 

その数々の『画面越し』の瞬間の中で私が1番「今」を感じたのは、デビューコンサートのオーラス、佐久間さんの最後の挨拶だった。

 

本日はありがとうございました!

みんな、Snow Manのデビューライブだよ!信じられないよね?だって俺たちここまでくるのに15年とかやってきて、何にもできないこともあって…ここまでこれたのは本当にみんなのおかげです。

だから今日はたくさん感謝を伝えたいです。ジャニーズを見てくれてありがとう。その中で俺たちを見つけてくれてありがとう。応援してくれてありがとう。生きててくれてありがとう。きっとジャニーさんも見てくれてると思う。

生きてれば絶対、生きてさえいれば絶対また会えるから、生きててください。みんな絶対に会おう!本日は本当にありがとうございました!

 

 

 

この言葉を受けながら「ああ、私、彼に会いたいんだ。会わなくちゃ分からないことがあるんだ」と漠然と思った。もしかしたら、彼に会いたいと思ったのはこの時が初めてだったかもしれない。

彼が私たちに会いたがっていて、多くの"私たち"も彼に会いたいと思っているのに、中々彼に会う機会を持てなくてもどかしい今みたいな時間の中で『生きる』という選択肢を諦める事を許してくれない彼を、どうしても愛おしいと思った。いずれ絶対に会ってやると思った。それまで会いたくないのかもしれないとすら思っていたのに。

 

そして、そのタイミングは思ったよりも早く来た。

 

 

 

 

 

滝沢歌舞伎ZERO2021が観客を入れてやることが決まっても、私の中で『有観客』のワードはどこかはっきりとせず、ぼんやりしていた。有観客、抽選、ということは私が短い間で応援してきた今までと違って、限られた人しか彼らのその瞬間のパフォーマンスを見ることが出来なくて。

私がリアルタイムで見てきたジャニーズのライブや舞台は全て無観客のものだった。お客さんがいる現場はDVD化されたものでしか見た事がなく、当たり前のことなのに私にとっては現実味がなかった。

それに、私が今まで経験してきた現場は、1度のドーム規模のライブを除いて、会場内での自分の行動が大切になるような席のとり方だったり、もはやどこで見たってあんまり変わらないような大きさの箱だったりで、ジャニーズの現場というものは全く想像がつかなかった。

 

 

 

私がこれまでの人生で今まで様々な人を応援してきたときは、なんだかんだ言いながら結局現場に入ることが出来ていた。だから、正直少し舐めていたと言えば舐めていたし、FC先行の結果が出て新橋公演で全落ちした時、パフォーマンスを見ることのハードルの高さに、ちょっと引いた。 

 

可能性があるのに諦めるのは性格的に出来なくて、気がついたら12時間以上同じ電話番号に電話をかけていた。

歌舞伎会のチケットは、Twitter上では「思ったより取れるじゃん」って言われてたけど、延々と電話をかけ続けていた人たちはSNSに顔を出すことが出来なかっただけだと思う。そんなこと言いながら私はちょいちょいTwitterを覗いていたけど。

こんなに繋がるかも分からないような、繋がってもいつどんな席に入れるか分からないような状態なのに電話をかけ続けて、きつい、しんどい、と思わないわけではなかったけど、絶望する気持ちが高まるというよりは、ここまでして私は彼に会いたいと思っているのか、とどこか客観的に自分を見ていた。

 

 

 

 

 

4月に入って、チケットが手元に来た。

4月10日、土曜日、夜公演、A席、滝沢歌舞伎の幕が開いてから3日目のチケット。どうせならレポを「あ〜、この場面ね?」と思いながら読みたいからなるべく早い公演に入りたい。早々に初日のチケットは売り切れてしまって、私の電話が繋がった時にはもう9日のチケットも売り切れてしまっていて、ちょっと早起きには自信が無いので夜公演。

ここで適当に決めた、私にとって初めてのジャニーズの、Snow Manの現場の日程が、この先の私の運命を左右する。

 

 

 

 

 

今年のMaybeにも佐久間さんはいない。

私が入る前2日分のレポを見て現場に入った。

何回も通った滝沢歌舞伎ZERO2020The MovieのMaybeにも彼はいなかった。ちょうど私がジャニーズのオタクを始めた頃に予約が始まって手に入れた滝沢歌舞伎ZEROの初演での演目とは変わり、映画では、彼には別の演目での見せ場が用意されていたから、少し寂しいと思ったけど昨年の時点ではあんまり考えないようにしていた。それでもいくら新規だとはいえ、彼にとって、滝沢歌舞伎にとって、彼の尊敬する先輩にとって、佐久間担にとって、Maybeという演目は特別で大切なことは理解していて、それはまだ知識の浅い私にとっても例外ではなかった。だから、考えないようにしていたのかも。

 

正直、悔しくないわけがなかった。彼が出る"見せ場"の演目は、今年の滝沢歌舞伎では歌舞伎演目以外用意されてなくて、あの表現力をどうして生かさないのだろう、と思った。Maybeは彼の表現力を魅せるにはぴったりの演目なのに、と思っていた。

それでも、彼がそれでいいなら、彼が今年の歌舞伎に納得しているなら私はそれを受け入れようと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前で幕が開いてみれば、他のメンバーより出演する演目がひとつ少ないことくらい何も関係が無いとすら思った。

他のメンバーが出ている演目も十分魅力的だし、何より1番最初のひらりと桜で彼が真っ直ぐ前を見ていたから。その目は、表情は、今まで画面越しに見てきた表現する彼そのものだった。彼は自分の表現に満足せず、それでも計り知れないオーラと彼らしさと、もっとたくさんの何かを、真っ直ぐその先を見据えて放っていた。

今私が受け取れる全ての彼を受け取ろう、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

阿部くんを捉えていた私の視界の端で、ちらちらと黒が舞った。

見間違えかと思ったし、私の幻覚かと思った。

その公演から、彼はその舞台に戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから、私が特に感銘を受けた演目を、佐久間さんにフォーカスして述べようと思う。

 

 

 

  • Maybe

 

 

 

正直、この時のツイートが全てなんだけど。

あんなにも存在感があって、そこに佐久間さんがいて、嫌という程彼に目を奪われるのに、彼は『影』だったのが印象的だった。

あくまでどこまでも『影』で、不安や悲しみをぎゅっとして押し込めた存在に見えるのに、これまで見たどの映像のMaybeの彼よりもそこに力強さというか……今の、2021年の佐久間大介がそこにいた。

 

あれは絶対に絶対に映像に残して欲しい。

これはあまりにも私利私欲だけど。いいんだよそんなことは。彼の2021年を残さない訳にはいかない、そんなの我慢できないでしょ、と私は思ってしまう。彼は1年、1ヶ月、1日、1瞬1秒、その28年の時を超えて、今も新しい時を歩んで、その時を全部表現にのせてくれるから。だから"今"を残して欲しいと思う。彼を余さず。

17年生きてきた彼の"陽"の表現も大事だけど、28年、紆余曲折経験してきた彼の"陰"の表現があってこそ引き立つ気がするから。やっぱり彼らの今、全身全霊を映像として残してくれ、松竹。

 

思わず暑くなってしまいましたね。いやー、結局人類はMaybeに抗えない。そういうこと。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、私はThe Movieのアンケートの時点で、佐久間さんの項目において組曲を選んだくらい彼の組曲が好きだ。

組曲は、バラバラじゃないのに個性があって、個性があるのにステージ上の全員が同じ方向を向いている、そんな演目だと思っている。

全員がギリギリなのが伝わってきて、なんならこちらの生命力まで吸い取っていくような演目が、怖いと思うくらい好きだ。

 

私は佐久間担なので特に佐久間さんの踊りばかり見ているけど、彼の組曲は全部をこちらに預けるような、これが終わったらそのままぷつりと糸が切れていなくなってしまいそうなところがある、と私は思っている。

そして、やっぱり生で見る組曲も間違いなくそうだった。

 

しばらくして、この組曲の演目は時間の関係上省略してされてしまう。実際、私がもう一度入った舞台では組曲はもうなかった。

それでも、「見なくて良かったかも」なんて思うくらい、ちょっと苦手で大好きな演目、組曲

佐久間さんが語るのは、やっぱり2部だとか、女形だとかが多いから、彼が組曲に何を託しているのか、その表現以外から知ることは出来ない。そういう、幅を持たせるような演目なのも、好きな一因なのかもしれない。

 

怖くて、疲れて、見てられない、と思うような演目だけど、もしまた見ることが出来るのであれば絶対に見たい、そんな演目。

 

 

 

 

 

  • 花鳥風月

 

 

組曲、と来たら花鳥風月。

これは、私の個人的な捉え方なんだけど、佐久間さんの踊りは組曲でウワア!と佐久間さんを構成する大切なものたちを撒き散らしたあとに、花鳥風月でひとつひとつ大事に大事に集めているように見える。

 

どちらの演目も同じように感情で、表情から踊る彼だけど、組曲は寂しくて怖くて強くて、花鳥風月は優美で優しくて脆い。そういうところが好きだ、そんな感情を受け取っているのは私だけかもしれないけど。

 

映像でも、現実でも、やっぱり花鳥風月の佐久間くんは綺麗だった。綺麗すぎた。

花鳥風月は"自然界の美しい景色、風景"を表し、"風流なこと"を言うらしい。

踊っている時の佐久間さんは、間違いなく"花鳥風月"だし、『花鳥風月』中の佐久間さんはより"花鳥風月"だな、と感じる。

彼の花鳥風月が、狂おしいまでに伝わってくるその時間がとてもとても愛おしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばばば、と書き上げてみて言うことではないけど、やっぱり佐久間さんの演技は、佐久間さんの踊りは、佐久間さんの表情は、佐久間さんの表現は、言葉で表しきれるものじゃない。当たり前だけど、もっともっと深くて広くて大きくて、直接見ても上辺しか分からないことに絶望するくらい。

 

結局、言葉にすることからは、「私は佐久間さんが大好きだ」ということを強烈に自覚させられる側面が大きかった。

私は、私に対しても素直じゃないから、言葉にしなきゃ見えない自分の感情もあって。こうやって人様に見ていただくためにつらつらと文章にしていることで、好きをたくさん自覚して、また好きを深める。こんな所で言うのもあれだけど、こうやってブログを書いて自分の気持ちを整理することはこれまでのオタ活の中でしてこなくて、それは今こうやって佐久間さんを大好きな感情の中で必要不可欠な工程なんだと思う。私にとって。いや、滝沢歌舞伎感想ブログの中で出る結論じゃないよね、わかる。

 

 

 

まあこんなに、書いたけど、うん、出た結論としては佐久間大介が大好き」ってことです。以上!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この文章を書きはじめたのは2021年4月11日、気がついたら1年も経ってて、その間に複数回佐久間さんに会ってて、気がついたらそれ以上会ってる担当が増えてて、オタクとは毎月会ってて、今、

 

2022の演目を見て、これを供養しなければと思いました。

 

Maybeに激重感情を抱く理由がこの春増えてしまい、もしかしたらこのままだと逆にもっと重い感情になる……のでは……?

 

たぶん、夏頃からほぼ推敲してないけどあえてこのまま出します。

2022年の歌舞伎に、私の好きな佐久間大介がいますように。

 

2022.03.29

 

 

 

 

 

 

 

『推し、燃ゆ』の彼女が羨ましい

 

 

 

かの小説で描かれた彼女は雑誌、ラジオ、テレビ、様々な媒体の推しの発言を切り取って確認して、それをひとつひとつ吸収することで推しを理解するということを根底にオタクをしていたが、実際、現実では不可能だ。

 


私たちは、綺麗に切り取られた彼らの一面しか知ることは出来ない。

 


現実では、小説内で描かれた彼女のように、雑誌、ラジオ、テレビ、全部の媒体を総ざらいしてもそれは彼らが作り出した1人のアイドル、偶像を掴む結果にしかならない。その偶像は流動的で常に変わっていく。私たちオタクは、本当の彼らを知り、彼らがその時々で描き出すアイドル像を完全に把握することは出来ない、と言っても過言ではない。

 


年間320誌以上に掲載された彼らの言葉は、彼らの言葉であって彼らの言葉ではない。少なくはない人間の手を通って私たちの元に届いている。言葉って、生き物だ。温度があって、環境があって、相手がいて、それで成り立つ。雑誌では温度は伝わらないし、環境も思い浮かばない。彼らが伝えている相手は私であって、実際問題私ではない。

今この文章を読んでいるあなたも、私と直接会ったことがある人、ない人、今まで2人で話してきた内容、もしかしたら特に話したことがない人、それぞれで言葉の受け取り方が違うだろう。直接会って、私の温度を知っている人には私の言いたいことは伝わっているかも知れない。でも逆に、普段こんなに真面目に話すタイプではないから、全然伝わってないのかもしれない。彼らの言葉だって同じで、私たちと違う人間が受け取った言葉をただ紙に印刷された文字という情報に落として私たちの元に届けてもらっているわけだから、それにそれを受け取る私たちだって知っている「彼ら」は人それぞれ違うわけだから、それから得られる「彼ら」はひとりひとりによって大きく違うだろう、と思う。彼らはそれも理解してその中でいかに私たちに分かりやすく、伝わりやすく自分を表すかというのを考えているだろうけど、少なからずあるであろう聞き手側の先入観や考え方によってそれはほんの少しでも曲がってしまっているであろうことは否定できないと思う。

 


ラジオはそれに比べると生身だ。テレビは尚更。表情も見えるし、感情は声に乗る。でも、わたしは天邪鬼なオタクなので、彼らには「話してはいけないこと」「話していいこと」があるんでしょ?と思ってしまう。ラジオにはラジオの、テレビにはテレビの、スポンサーも対象にしているリスナーも視聴者もいて、それは私たちオタクだけではなくて世間一般のたまたまそこで彼らに出会った人も含まれる。私たちオタクが受け取る彼らと、初めてそこで彼らを見る人が感じる彼らを出来るだけ近づける努力をすることだってあるだろう。結局、そこにはあるのは彼らがマネジメントする自分だ。

 


私が応援しているグループは過去に大きな変化があって、それに対するオタクたち、メンバーたちの感情は様々だった、と思う。と思う、というのはわたしはその時を直接見ていないから、実際知らないから。私は踏み固められた大地になった彼らしか見ていなくて、まだ柔らかい土壌だった彼らを知らない。その時から知っていたら今、こうやって楽しくオタクしてるか、と言われたらまたそれはちょっと難しい気もするので、出会ったタイミングに関しては後悔していないけれど。あ、嘘。推しコンビの2人での外部舞台を見に行けなかったことだけは本当に悔やんでいる。話が逸れたな。正直、知らないことを言葉にすることはあまり気が進まないけれど、私が話したい「彼女が羨ましい」を語るには必要不可欠な事だから、話そうと思う。

 

その時の彼らの言葉を見ると、今でも話している内容を聞くと、それはそれは複雑だったのだろう、ということが感じられる。いや、それは当たり前なんだけど。彼らの言うことには現状でもまだブレがあったりする。彼らにとって、たぶんどの感情も本当で、嘘ではないんだろう。というかそう思いたい。そう思わないと救いがない。でも、それは彼らが話せる範囲で、の話だ。これは、救いでもなんでもない、事実。

私は決してあの感情が、彼らが抱えた感情全てだとは思っていない。人間なんだから悔しい気持ちだって、怖い気持ちだって、まあマイナスな感情をお互い、どちらの立場のメンバーもオタクも抱えていて当然だろう。でも彼らの言葉からそういった温度はこれまであまり感じなかった。ちゃんと言葉に表してくれるメンバーがいないわけじゃないけど、いつも強くあったその姿にどれだけの苦悩や苦しみがあったんだろう、と考えたのは1度じゃないし、彼らを応援する中でその感情を想像することはたぶん、みんなしている。でもそんな気持ちは、どこかの誰かの手によって私たちの元には届かない。それがタレント本人かもしれないし、事務所かも知れないし、編集側かもしれない。何が悪い、とかじゃなくてそういうのを隠すのが「アイドル」で、彼らじゃないほかのアイドルたちも、いろいろな問題を抱えながら今も笑顔で私たちを励ましてくれる。

でもそうやって濾過されたものしか受け取る術のない私たちにとって、彼らの真意がそこで捻じ曲げられてしまったかもしないことは事実で、私はその事実がある以上、たぶんこれからどのタイミングで、どんな媒体であの時のことを語られたとしても疑ってかかってしまうと思う。あの時を一緒に過ごしていない私でさえ、だ。それは巡り巡っていろいろな他のことに答えている彼らの言葉すら、疑ってかかってしまう現状に繋がっている。

 


だから、彼女が羨ましい。現実を生きる私にはああやって推しの全てを知る喜びは分からない。私が応援する彼らは、生身の人間なのでその時々で描きたい姿、目指す姿が変わっていく。だから、一生かかっても私たちは彼らを分析し尽くせない。彼女が応援する推しのように変わらないアイドルもいいと思うけど、少なくとも私は夢を叶えたらまた新しい夢を両手にたくさん抱えて走り出して、理想がどんどん大きくなる彼のことが大好きで大好きで堪らないので、羨ましい、とは書いたけれど全部そうなりたい、とは思っていない。

そういうことがあるから、オタクって楽しい。

彼女の推しだってこれまでたくさん変わってきて、それを彼女は分析してきたのかもしれない。実際、後半、変わっていく彼を理解しようとしていたし。でも、それは彼の言葉が濁りなく届く環境にいたからできることだ。もしくは、濁りを濁りとして捉えてないから。わたしはそれを1度気にしてしまったから、もう彼女のような推し方は出来ない。

 

 

 

 

 

「戸惑いはあった でも迷いは無かった」

 

その言葉に小さく頷く彼らが、それを受け止めるなら。それが彼らの感情の、また新しい説明なんだろう。正直、私は今まで受け取ってきた、その事に関する言葉の中でなかなか上位にランクインするくらいしっくり来た。迷いなく走り抜けてくれた彼らが輝いていたから、私は彼に、彼らに惹かれて今ここにいて、そういう戸惑いも全部抱えて走りたいと思える。

これから長く彼らを応援する中で、また新しい言葉が私を納得させてくれるかもしれない。でも暫くは、この言葉を大切にしてまた彼らを見守っていこう、と思った。

 

 

 

 


なんか結論がどこかに行ってしまったのでこの辺で!

 


改めて、それスノ地上波レギュラーおめでとう!

彼らがこれからも嘘なく笑える現実でありますように。

 

 

 

 

 

  • 追記

 

今、書き終わってページを閉じて、ブログは?彼らから伝えてくれる短い動画(ザム)は?と思った。

 

ブログやザムはそういう観点でいえば、彼らが私たちに思いを伝えてくれる媒体としては1番近しく彼らを知れる場だと思う。だからこそ月イチではなくもっと投稿できるようにして欲しい、という声もあるし、ザムはISLANDTVを引き継いできた。

でもブログにだってザムにだって少なからず「大人」の目はあって、完全に自由な彼らでは無いし、彼らは彼らの偶像を商売にしているので、私たちに伝える言葉や姿はあくまで1部でしかない、綺麗なものでしかないだろう。だから、私は多分やっぱり信じられない。申し訳ないけど。

 

ブログもザムもいつだって心待ちにしているし、彼ら自身の言葉で伝えてくれる、温度を感じられるそれはこれからも大切にしていきたい、という気持ちはもちろんある。それでも天邪鬼な私は変わらないよなあ、と少しの諦めを持ちながら、私は毎月18日を楽しみに生きている。来月の彼は、どんな感情を教えてくれるだろうか。

 

 

 

  • 追記2

 

これを投稿する前にらじらーの卒業が発表された。うん。率直に寂しいな。

制約は無いわけじゃないけど、彼らの思ったことをその場で言葉にして、それを編集なしに公共の電波で流す、そんな1時間を交代制にせよまあまあの頻度で楽しませてもらっていたわけだから。私がここで書いた条件のある言葉たちの中だったら、もしかしたら、らじらーというコンテンツは私たちに直接彼らの言葉を1番濁りなく伝えてくれてたんじゃないかな。

ラジオって顔が見えない分、声に集中出来て、だからこそ言葉も入ってくるな〜と思う。ほら、直接話すよりも電話での方がきちんと相手の話を聞けたりするじゃん?しない?そっか。それを1時間も生で、って本当にすごいことだったよな〜と今更になって思う。

彼らのステップアップには必要な終わりなんだろうけど、あったものが無くなるのは寂しいね。こういう節目でしかそのありがたみを実感できない人間性なのどうにかした方がいいな〜と思いながら、少し感傷的になる昼下がりでした。

どうせなら、最後はいわふかがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『呼び方』のはなし

 

 

 

 


勝手に思ったことなんだけど。

 

 


阿部くんの呼ぶ「だてさま」にはなかなかの意味があるんじゃないかな、と思った。

 

 


阿部くんは宮舘くんのことを「涼太」でも「舘さん」でもなく、「だてさま」と呼ぶ。ブレることはあるけど。もちろん、他の呼び方で呼ぶことだって全く無いってわけじゃない。その呼び方に固執してるって話ではなくて。それはだてあべを追いかけている私が良く知ってる。でも基本は「だてさま」だ。

 

 

 

わたしは2人の名前に「りょう」が入ってるという事実がとても好きで、おそろいだなあ、と嬉しくなるんだけど、それ自体本人たちも全く意識がないわけではないらしい。(ソース:2021/01/28 素のまんまだてあべ回 阿部くんの口から出た「涼亮コンビ」のワードに気が狂いそうになった人は私以外にもいると思う。)

でも阿部くんは宮舘くんのことを「涼太」と呼んでいるのは私が追いかけ始めてからは見たことがないし、これからも呼ぶことは無いんだろうなと薄々思っている。それは少し残念だけど…でも、これは私のだてあべ推しとしての意見だし、本人たちにはそんなことを気にして相手との距離を考えて欲しくはないし。まあ、「涼太」とは呼ばないだろう、ということが今回の話の中では重要なことなので、ここに関してはあまり深掘りしないでおこう。

 

 

 

最初の話題に話を戻すと、「だてさま」呼びは阿部くんからの最大限の気持ちなんじゃないかと思う。

 

かの有名な滝チャンネルで、「壁をなくしたい」といった阿部くんに宮舘くんが言ったのは「その呼び方を変えて欲しい」だった。「宮舘って呼び方は俺に刺さる」と。

その時に佐久間さんが言ったように、私も「宮舘」という名前にはなかなかに重さ?硬さ?強さ?があると思う。悪い意味じゃなく。例えば「さくま」と比べると確実に力は強い。ガツン、と来る気がする。そういう感じ。

ちなみにその時の滝チャンネルでは「宮ちゃんと呼んで欲しい、おれも阿部ちゃんと呼ぶから」と言っていた宮舘くんだけど、結局自分はその時からずっと「阿部」って呼んでんじゃん、と私は思った。これについては後述しようと思う。

 


ここからは便宜上「オリメン」と「加入組」という言葉を使わせてもらおう。私はそんなにこの言葉が好きでは無いのだけれど、分かりやすく括って話をさせてもらうために。


阿部くんは基本的にオリメンのことをオリメンと同じ呼び方で呼ぶ。こう書くと分かりにくいんだけど、「ひかる」「ふっか」「佐久間」「翔太」、こうやって並べてみると、岩本くんを「ひかる」と呼ぶのはオリメン、「ふっか」と呼ぶのもオリメンで、最近ラウールくんや場合によっては向井くんも呼び始めた、と記憶している。「佐久間」もオリメン。「翔太」もオリメン。


いや、阿部くん自身もオリメンだしなんの問題があるの?って言うのはわかる。順序だてて説明させて欲しいのでちょっと待って欲しい。

 


岩本くんの呼び方は基本皆安定している。「ひかる」「ひかるくん」「岩本くん」。深澤くん、向井くんを除いて。……もしかしたらラウールくんも「岩本くん」以外に進化してたりする?私の確認が足りない?ちょっとひとつひとつのコンビ満遍なく全部完璧に見てる訳じゃないのでそれに関しては目をつぶって欲しい。というかラウールくんの岩本くんに対する呼び方はなんというか……お兄ちゃんに甘えてるみたいだ、と常々思っている。それがどうという訳では無いけど。それに加えて、向井くんもそうだ。甘えてるみたいだ。というか、「てるにい」なんて呼び方、甘えてるとしか思えなくないか?岩本兄弟、最高。まあ、ラウールくんは本人が関係性を絶賛開拓中だとも思っているので他の人の呼び方もまちまち。深澤くんが岩本くんの呼び方を誌面や場面によってブレさせているのはわざとなような気もする。知らんけど。照れ隠しにも思える。今回話したいのはその話ではないから深くは言及しないけど、とっても深澤くんぽいよな、と思う。そうやってたくさん選択肢を与えて私たちの目を眩ませるようなことをするところが。本人にそんなつもりは無いんだろうってこともわかってるけどね。ここで話題にしている阿部くんは基本的に「ひかる」呼び統一だ。


「ふっか」には大体敬称がつくかつかないか。加入した頃からのオタクじゃないのできちんと把握はしていないけど、早い段階から大体みんな「ふっか」と愛称呼びだった気がする。最年長なのにすごいな〜とも思うけど純粋に「ふっか」ってとっても似合ってるし音が可愛いよねえ、と思う。深澤くんにぴったりの愛称だ。あとジャニーズっぽい。


「佐久間」は割とブレる。「佐久間くん」「さっくん」「佐久間さん」懐かしいのだと「たくまくん」とか。それは佐久間さん自身の人柄がそうさせているんだろう。阿部くんは統一して「佐久間」呼びだったはずだ。いや、おふざけ中とかは「佐久間さん」とか呼んでるかもしれないけど。基本ふざけて「佐久間さん」と呼ぶのは深澤くんな気がする。MC中に話を振る時とか。これって私の記憶の捏造かな?わかんないけど。まあでも佐久間さんは「佐久間」で、それに私は違和感を抱かない。阿部くんと佐久間さんってそういうものだし。他のグループの人たちが「さっくん」と呼ぶことが多いのに対し、メンバーは「佐久間」「佐久間くん」と呼ぶことが多いのはなんでなんだろう?加入組は…まあオリメンに引っ張られている節がある気はする。でもなんで?渡辺くんだけが「さっくん」と呼ぶことがあるのもなんで??佐久間担の私的にここは謎なんだけど、彼らには私が全く知らない歴史があるのはしょうがない事なので、不思議だな〜と思うに留めておこう。なにか知る機会があるのならばそれはそれでちょっと楽しみだ。


「翔太」も基本そう。みんなそう。これはオリメンの話。まあ、少なからず「なべ」と呼ばれることもあるかな?ふざけてる時、ツッコミでオリメンが使う「なべ」はあたたかくてとても好きだ。あとちょっとチャラいな〜と思う。そういうところがとても渡辺くんぽくて好きだ。加入組は「翔太くん」「しょっぴー」「しょった」とか時によって様々だ。目黒くんを除いては。基本他の人も含めて、加入組の中で呼び方に1番距離がある目黒くんは、それだけオリメンのことを尊敬しているんだろうし、沢山いろいろな面を見てきたんだと思う。後輩として、またメンバーとして。これは向井くんやラウールくんがオリメンを尊敬していないって話ではなく、目黒くんだから、関東のJrで大きく歳が離れていた訳でもない目黒くんならではの立ち位置なんだろうな、と私は解釈している。あとやっぱり彼って真面目だ。いろんなエピソードを聞く度にいい意味でガムシャラでしゃかりきで真っ直ぐな人なんだな〜と思うけどそういった面がこういう、呼び方みたいな一面に出ているのも面白いなと思う。

渡辺くんの呼ばれ方に話を戻そう。加入組に1番いろんな呼び方をされていて、普通に考えればその年の差で?や一応メンバーとは言ってもかなり先輩なのに?というくらいの呼び方をされている渡辺くんは、「怖い」と言われるけれど、なんだかんだとても優しく、かわいく、開いた人なのだと思う。バブだバブだと言われることは多いけれど、佐久間さんに比べれば「子供らしく」は無いと思う。(私はそんなに佐久間さんが好きだ。)渡辺くんのバブは子供らしいよりもかわいい、守りたい、たくさん食べてほしい、よく寝て欲しい、そういった母性本能をくすぐるものなんだろう。計算もされているだろうし天然でも発揮されているだろうその個性は、少なからず加入組によって引き出されたというのはある気がする。知らんけど。そして、阿部くんは基本的に「翔太」呼びで安定している。

 


そして、私が話題にあげている「だてさま」。基本的にオリメンは「舘さん」か「舘様」だ。渡辺くんはちょっと例外。その時期や、場面によってブレる。今は「だて」期間だろうか。渡辺くんと宮舘くんがかなり特別な関係性で、距離をはかるのが上手な渡辺くんが宮舘くんに対してだけふわふわしてしまうの、見ていてとっても伝わってくる。そういう所がゆり組のズルいところ、っていうのは常々思っている。オリメンの間だと日常で「舘さん」が多くて、人前に出たりロイヤルだったりすると主に深澤くん、佐久間くんが「舘様」と呼びがち。裏や、もっと砕けた場面では「涼太」と呼ばれることだってあるだろう。「舘さん」呼びの浸透で「宮ちゃん」呼びは薄くなっていった…んじゃないかな、と私は思っている。その期間、立ち会っていた訳では無いので私の憶測に過ぎない。古くから応援している方々が呼ぶ「宮ちゃん」は暖かく、彼の今までのちょっとやんちゃなところが映し出されている気がして愛おしいなと思うけれど。加入組は「舘さん」「だてぇ」「舘様」……他にも、「だてちゃま」「だって」非常に様々だ。主に向井くんが。渡辺くんが宮舘くんを呼ぶ呼び方は向井くんに影響されている気がする。向井くん、「だて」と呼ぶのは自分だけがいいという話はどこに行ったんだ?(だてこじも大好きなので。)大好きな翔太くんならええよお、なのか?向井くんがその発言をした頃、阿部くんも「舘」と宮舘くんを呼ぶことが多かったと私は記憶している。ほんの一瞬だったけれど、あら何?そちらに行きたかったの?と私は思った。結局元の「だてさま」に戻ってしまったけど、あの時はなんだったんだろうな。向井くんに感化された?もう少し砕けた間柄になりたかった?その真相を知る術は無い。目黒くん、ラウールくんの末っ子たちはそれぞれな気がする。最近のラウールくんは「舘さん」と呼ぶことが増えたかな?こちらもちょっと、ちゃんと追いきれていないので分からない。わたしはラウールくんの「M音」可愛くて好きなので「舘様」呼びも大好きだ。

こうやって書いてみると、常日頃から宮舘くんのことを「舘様」と呼ぶメンバーはあまり多くない気がする。シーンに合わせて出てくる、ロイヤルな面をさすことが多い。それでも阿部くんは宮舘くんのことを一貫して「だてさま」と呼ぶのだ。2人きりの場面、宮舘くんが阿部くんにイタズラを仕掛けたときでも、子供のように絡んでいる時でも、真面目な話をしている時でも、ふざけあっている時でもずっと「だてさま」だ。

私はこの呼び方が阿部くんが宮舘くんのことをしきりに「かっこいい」という、「かっこいい」と思っているんだろうな、と思うひとつの要素な気がするし、これまでは逆に阿部くんからの線引きでもあるように感じてしまっていた。宮舘くんも阿部くんもそんなことは思っていないかもしれなかったけど、頑なに「だてさま」と呼ぶ阿部くんが少し悲しかった。でも、よくよく考えてみれば。「宮舘」と呼んでいた阿部くんが「だてさま」を大切にしているのは、宮舘くんとの距離の詰め方の表れなように思える。本当に君は不器用だよな(失礼)「だてさま」という呼び方は私が考えているよりも宮舘くんと阿部くんの間でずっと特別で大切なものなのかもしれない。出来てしまっていた小さい壁を壊して、2人なりに関係性をを見出した、その表れ。そうしたら阿部くんの呼ぶ「だてさま」がとてもとても大切で愛おしいなあ、と思うようになった。なんで「だてさん」じゃないんだろう、というのは常日頃から思っているしやっぱりそういうところがだてあべってわっかんないな〜となるところなんだけど、そこは前述したように「かっこいい」からなのかもしれない、と思って自分を納得させている。そんな深い意味は無いのかもしれないけど。

 

 

 

たかが呼び方、されど呼び方。私たちオタクは彼らの一挙一動に意味を見いだして、行間を読んで勝手に喜ぶ。供給の少ないコンビ厨になれば、隣歩いてる!だの、同じ写真に写ってる!だの。コンビじゃなくても、もしかしたらこの演出はこういうことかも、ここの振りはこういうことを表してるんじゃないか、この時ブログで言ってたのはこの仕事の事だったのかも、いろんなことを思い出しながら、いろんなことを理由にして、もっと彼を、彼らを知ろうとする。いいことも悪いことも。その中で彼らのその時の関係性を映し出す資料として呼び方に注目してしまうのは許して欲しい。とても強烈に彼らの関係性を表すものだと思うので。

私の大好きな人達が、かつてのいざこざを解消した証として今も大切にしている形なのであればそれは本当に、本当に素敵なものだな、と思う。これからもずっとそうやって不思議な関係でいてくれればな、と願ってやまない。

 

 

 

さて、先程後述しよう、と書いた宮舘くんから阿部くんへの呼び方の話をしよう。

 


宮舘くんは阿部くんのことを基本的には「阿部」と呼ぶ。これはオリメンでも珍しくて、岩本くんと二人だけだ。他のみんなは「阿部ちゃん」で統一。加入組も。あべちゃんは皆のあべちゃんなのだ。

うん、そう。この時点でアツい。だいぶアツい。岩本くんは阿部くんとの関係性を聞かれた時に「兄弟みたい」というし、それは阿部くんからも同じ認識なようだ。阿部くんはメンバーはどんな人?と聞かれるとその度不思議な表現をしているように思えるけど、割と岩本くんに関しては恩義を感じていて(いわあべのエピソード、大好きですよ!)「お兄ちゃん」なのは固定だ。そして、同じ呼び方をしている宮舘くんはやっぱり「お兄ちゃん枠」「かっこいい枠」で何となくあろうとしてるのかな、とか思ってしまう。これは私の贔屓目だろうけど。いや、本当に宮舘くんはなんであの頃から一貫して「阿部」呼びなんだ……?改めて不思議だ。でも私は宮舘くんが呼ぶ「阿部」がとっても大好きだったりする。そして、岩本くんは「阿部」、他のメンツは「阿部ちゃん」で統一なのに対して宮舘くんは割と呼び方がブレる印象がある。「阿部さん」「阿部亮平さん」「阿部くん」時には、「亮平」。これは私判定だが、「阿部亮平さん」は外に阿部くんを紹介する時、「阿部くん」や「亮平」はからかっている?ふざけている時が多い気がする。ブレている呼び方の中でいちばん多い「阿部さん」は質問をしたり、ふざけていたり、割と様々。これは、これで。阿部くんとの距離に、その呼び方がちょっとなあと悩んでいた宮舘くんらしいまとめ方な気もする。その時々に合わせて呼び方を変えて、距離感を変えて、敬語を使ってみたり、いじってみたり、意地悪を言ってみたりして。他のメンバーを相手にするより阿部くんを相手にした時の方がそういった遊びは多いように思えるし、それが、宮舘くんが阿部くんとの仲を改善して見出した最高の距離感、結末なのだと思う。他のメンバーともなかなか上手くいかなかった話もあり、現に加入組とは、向井くんは置いておいてやっぱりほかのオリメンと比べれば少し遠いように見えるその距離感。阿部くんは不器用だなあと感じるけど、宮舘くんもかなり下手くそだ。取り繕わない、といった点で言えば阿部くんよりも。いや、自分を誤魔化す方が上手と言っている訳じゃないし、阿部くんが誤魔化している、と言いたい訳でもない。そもそも宮舘くんと阿部くんの関係性は阿部くんが「どうにかしたい」と言い出して(その時宮舘くんはどう思ってたかは分からないけど)宮舘くんが話を広げたわけだから、その時点では宮舘くんが取り繕う側で、阿部くんが取り繕わない側だったわけだけど。でも、今私たちが聞くエピソードや傍から見た距離感で言ったら何となく、逆の立場になっている気はする。取り繕わないからこそ阿部くんや佐久間さんと打ち解けて、尚加入組とは一定の距離感を保つ宮舘くんと、いい意味で丸くなって取り繕うことも覚えたから和解して、広がって、今の交友関係を手に入れた阿部くん。そんな風に思える。でも、その上手さの裏には確かに宮舘くんとの確執は無かったものではなくて、その下手さはもしかしたら阿部くんとの確執からの教訓かもしれなくて、結局私はそんなふたりの関係が愛おしくて今日もたまらないのだ。

 

 

 

 

 

ここまで、ただの佐久間担の戯言なのでちげーよ!とか行間読みすぎだよ!とかほぼ妄想だよ!とかは心の中に置いておいてくれると嬉しい。それは私もわかりきってることなので。


何?呼び方の話どこいったんだ?……まあいいじゃないか、結論:だてあべってかわいい

 

 

 

 

 

1歳の君たちに寄せて

 

 

 

いやあ、文章の書き出しって難しいですよね。

 

この画面を開いてだいぶ経ちました。なので、とりあえず。

1番伝えたいことから書きます。

 

 

 

Snow Man デビュー1周年おめでとう。

 

 

 

よし。これが書けたら、もう書きたいことは7割書けてるので。

 

ここからは気楽に行こうと思います。

もう書きたいことも伝えたい気持ちもたくさんたくさんあって、ぐっちゃぐちゃになっちゃいましたけど。

初めて書いたブログなので暖かい目で見てください。

 

それでは、長くなりますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私にとって、佐久間大介さんはどういうポジションなのか、と言われると。

 

推し?ウーン。

好きな人?それは、間違いないんだけど。

 

 

結局色々考えて、1番しっくり来るのは「目標」なのかなと思った。

あと佐久間大介さんという存在自体が「宗教」とも普段から良く言っている。

 

 

 

でもなんだかんだ、私にとっての佐久間大介さんは、言葉で表すには今の私ではどうにも表現ができない気もする。佐久間大介さんに見出したのは私の中の何か一つに引っかかるものじゃなくて、全身を預けるようなものだったから。

 

 

まあそれは置いておいて。結局言葉で、なんて、受け取った人の感性それぞれだろうし。

 

 

 

それでは、ここからは私が佐久間さんのどこが好きなのかを話させてもらおう。

 

 

佐久間さんは私たちの前でいつも「佐久間大介」だ。

 

いや、当たり前なんだけど。

これは私の勝手な解釈だけど、彼は私たちに見せてくれる面と裏での顔を使い分けている。気がする。

 

彼には理想のアイドル像があって、好きなアイドルが居て、自分もそれに近づこうとしている気がしてならないのだ。

 

誰かと話す時。ファンサをする時。怪我をした時。悔しい時。嬉しい時。悲しい時。感極まった時。

どんな時でも、私たちに見せる顔は彼の中で意外と冷静に選ばれている気がする。

言動も行動も、グループの中では年長の方なのに落ち着かない彼だけど、多分そういうところも含めて佐久間大介が描く「佐久間大介」像なのかもしれないと思う瞬間が度々ある。

 

だってそう思わないと不思議なくらい、先輩後輩や仲がいい人からの「佐久間大介」と私たちが知る「佐久間大介」にギャップがある時がある。

 

裏も何も無いよ、ほとんど素だよ、という彼らだけど、佐久間担の人は同じように感じてることも多いんじゃないかな。知らんけど。

 

佐久間さんの中にはまだ陰もちゃんと生きていて、それ以外に真面目で怖い面も持ち合わせていて、その中から選んで自分の理想の「佐久間大介」で居られる面を私たちに見せてくれているんじゃないかな、と思うのだ。

 

だから、間違いじゃないけど、私たちに見せてくれているのも「佐久間大介」なんだけど、例えば、彼が思う自分の好きなところだとか、特徴的なところだとか。

そういうものを取捨選択しているんじゃないかな、と。

 

 

 

そんなの私の勝手な妄想だ。

 

でも。

友達の前では「悩みがなさそうでいいよね」と言われる自分でありたい、と思う私だからこそ、もし私の考えている事が少しでも佐久間さんが実際考えている事に重なっているとしたら、それを完全に行っている佐久間大介さんがやっぱり私の「目標」なのだ。

 

 

 

これが私の佐久間さんの好きなところ。

もちろんそれだけじゃなくて、自分を見せるのがとっても上手なところ、かわいいくらいおとぼけなところ、仕事に対しても趣味に対しても全力なところ、全部全部好きだけど。

 

1番言葉に表しにくくて、1番私の「好き」の芯にあるのはこの気持ちだと思う。

 

 

 

じゃあ次。私が佐久間さんを好きになったきっかけについて話そうと思う。

 

 

私が佐久間さんに完全に落ちたきっかけは、1番は友達に見せてもらった素顔4でのパフォーマンス、それまでに知っていたバラエティなどでのキャラクターのギャップだったけど、その素顔4を見たいと思ったきっかけになったのはドッキリGPの生贄村だった。

 

いや、もちろんメインになっていた康二くんに可愛い!守りたい!と思ったけど。

 

それは、1番最後のネタばらしの直前。

みんなが康二くんの前で跪かされて、えい!えい!ってされるところ。

その中で、1人だけ本気で泣いてるように見えた人がいた。

え、号泣じゃん、ボロ泣きじゃん、と思った。

思わずそのシーンに釘付けになった。

多分、私がそれを見たのは深夜だったと思うからそれは番組の再放送で、それ以降、Snow Manをきちんと追いかけるようになってからも生贄村の再放送には出会えてないけど。

あのシーンはよく覚えている。

悔しそうな顔で1人体を震わせていて。

ネタばらしが終わった後の康二くんが思わず佐久間さんに駆け寄っていたのも、全部全部。

 

そのくらい、ひとつの仕事、一瞬でも気を抜かない、本気の人なんだと思った。

 

私がそれまでに知っていた佐久間さんの情報は、某デラックスさんの番組での「やばい金髪アニオタ」の印象と、6人時代からオタクをしている友人からの「かなり年の離れたメンバーが加入した」グループの中の人らしい、ってことくらいだったから。

 

いや、そんな真面目でストイックなところ見せられたら惚れないわけないでしょ。

見た目は金髪ポメラニアンなわけだし。

 

 

これが、私のきっかけ。

 

キラキラした、キレッキレのパフォーマンスを見て、だとか。気づいたら、だとか。言ってみたかったかもしれない。

それでも私なりに大きいきっかけはこれだった。

 

あの深夜にテレビをたまたまつけていて、ドッキリGPを見ていて良かったな、と思う。

今思えば、あの夜私の運命が変わったわけだから。

 

 

 

 

 

だーっと書き連ねたわけだが、なんだかいつものツイートを要約したみたいなことになったのには目をつぶって欲しい。

 

また何か書きたい事が生まれたら別のタイミングで書かせてもらおう。

 

 

 

 

 

  • 私にとってのだてあべ

 

さて、お次は。

私と言ったらじゃ無いだろうか。

 

コンビ厨、だてあべ推し。

 

 

 

私のコンビ厨の起源は実はだてあべじゃなくて、あべさくだった。

仲良しで2人で笑ってることが多くて、2人だけの世界があって、お互いがお互いのオタクにマウントをとったり。

いや、ジャニーズってそんな感じなんだ……?って最初は思ったけど、よく知っていくうちになんだかちょっとあべさくはおかしいことに気がついた。

 

他のグループとかはよく知らないけど、あんなにお互いへの好きを隠さない、むしろ自分たちから押せ押せしていって勝手に日替わりで、その上何場面もイチャコラして、雑誌からつけられた「共通点ゼロの両思い」の称号だって満更でもない、なんて2人はそんなに多くないのでは無いだろうか。

オタクからの需要とかそういうの関係なしに、多少紆余曲折はありながらも「ずっと仲良し」でいてくれる2人は今も変わらず大好きだ。

 

 

 

そして、だてあべ。

いや、もういつからとか明確な何かがあった訳じゃない。気がついたら好きだった。

 

自担関係ないじゃん、とか思って抵抗した気もする。

それでも好きなもんは好きだった。認めたら一瞬だった。

 

私は彼らのことをSnow Manの中で1番「アイドルらしい」2人だと思っている。

佐久間さんとは違って、いつ何時もアイドル。たぶん、裏でもアイドル。私生活もアイドル。それがいいとか悪いとかじゃなくて、そこが2人の共通点だと思っている。勝手な理想だけど。いつでも宮舘涼太阿部亮平

そんな別ベクトルに非現実じみている2人の人間臭いところが垣間見れるコンビでのエピソード、いまだに距離感が不思議なところ、2人揃うと涼やかな雰囲気、阿部くんはゆり組厨で、私の贔屓目が入ってる気もするけど強火宮舘担なところ。そんな阿部くんに宮舘くんがどう思ってるかは分からないけれど、宮舘くんからは子供みたいな絡み方をするところ。

見る度に変わっていくふたりの関係性が好きだ。

 

 

2人でのエピソードは他のコンビに比べれば豊富ではないけど、かつて一悶着あった2人。

初めて聞いた時、宮舘くんは見かけによらず熱くて意外と人付き合いが下手なんだな、と思った。佐久間さんとのお話もあったし。

でも2人が拗れたのはなんだか、それだけじゃない気もして。

たぶん……阿部くんにだって問題があった。

温和で柔和なように見えて意外と頑固で、尚且つネガティブな阿部くん。

熱くて、自分の信念がハッキリしていて、こちらも頑固そうな宮舘くん。

こうやって並べてみるとやっぱり、相性がいいとは言えない気がする。

そういうところが好きだ。

 

 

何かの機会で例の滝チャンネルを見た時に、泣く印象のない、ましてや、それが自分の問題でなんて似合わないくらいの阿部くんが、その「自分の問題」で泣いていて、そこまで、と思ってしまった。

私にはそんなに思い詰めるまで関係性を持っていたいと思う相手はいなかったから。

そりゃあ一生一緒にいるメンバー、たくさん一緒に苦しんできた仲間だとしたら当然の反応なのかもしれないけれど、私にはいまだにそんなに相手はいないので少し羨ましい。

 

他のメンバーとだって、他のメンバー同士でだって、もし同じような状況になったら彼らは誰だって泣いていたかもしれないけど、そうやって拗れちゃうのも、泣いちゃうのも、それは宮舘くんと阿部くんだったからだ、と私は思う。

 

私はそうやってだてあべに落ちていった。

 

 

 

彼らの好きなところはまだ全然あって、その中で大きいものが上にも書いたように、見る度に変わっていく関係性というのが大きい。

ある時はお父さんの様な宮舘くんだったり。

ある時は強火宮舘担な阿部くんだったり。

その不思議な関係性に毎回びっくりさせられる。

大きい2人での仕事もあったのに、特別仲がいい訳でもなくてベタベタする訳でもない。

でも、他の人にはあんまりしないいたずらっ子な宮舘くんが見れたり、たぶんそんな宮舘くんが狙った通りアワアワする阿部くんだったり。

そういう、いつもは1歩引いている事が多い2人の独特な関係性が好きだ。

 

 

だてあべについてはもういくらでも書けるので、今日はこの辺にしておいてやろうという気持ちで終わりにしようと思う。

 

シンメ、いわふかだってあべさくだってゆり組だって、他にもめめこじだっていわらうだってめめなべだって、もちろんふかさくもいわさくもだてさくも全部全部、それぞれのコンビに良さはある。節操のないコンビ厨なのでどんなコンビだってかわいいし好きだなあと思う。

 

それでも私にとってだてあべは、1番特別で大切な2人なのだ。

多分、これからもずっと。

 

 

ちなみにここまでの宮舘くんと阿部くんの見解は佐久間担による勝手な捉え方なので違うぞ!ってところがあっても許して欲しい。あしからず。

 

 

 

そして。

最後に大声で言わせてもらおう。

 

 

 

だてあべ、素のまんま決定(1/28)おめでとう!!!!

 

 

 

感極まってお風呂に浸かりながらひっくり返りそうになった。

なんであなたたちだけ勝手に他のコンビを突き放して3周目に入ってるんですか?

 

 

 

 

 

  • 私にとってのSnow Manとこれから

 

では、ここからは私にとってのSnow Manと、これからについて話させて貰おうと思う。

 

 

 

そもそもの話。

私はジャニーズが苦手だった。

 

 

私が元々応援していた人達は実力があるのに事務所に所属していなかったり、活動場所が限られているせいで脚光を浴びないと思っていたし、ジャニーズに対してはジャニーズだから、って許される場面が多いし優遇される場面が多いと思っていたから。

ジャニーズだからこういう仕事が来て、歌番組も枠が多くて、羨ましい。

 

でも実際ジャニーズについて知ってみると意外とタレント自体がその「ジャニーズだから」を払拭したいと思っているんだな、と気がついた。

勝手に食わず嫌いをしていたから知らなかっただけで、彼らだって大きな事務所の名前に隠されて本当の「自分」を見て貰えなかったり、1人のパフォーマーとして、タレントとしての姿に1枚膜がかかってしまうことに悔しさを感じている人だって少なくないだろう。

 

たぶん、佐久間さんもその中の一人だ。

 

ジャニーズだから、って言われるのが嫌でたくさん力を蓄えて、その相手からのハードルを越えられるくらいの力を持っているタレントが多い事に、遅かったけど今気づけたのはとてもありがたいことだ。

私の視野が広まったから。(照くんの視野シマウマ!が聞こえる気がする)

 

 

 

佐久間さんに他界隈の他担狩りをされて飛び込んだジャニオタ。これからお世話になるジャニーズ事務所の中で、Snow Manはなんだか「ジャニーズらしく」ない気がした。

まるで2次元みたいな設定を持ったメンバーたち。

とんでもないギャップだったり、漫画みたいな学生時代のエピソードだったり、びっくりさせられる学歴だったり、ジャニーズらしくない趣味だったり、あんまりジャニーズでは見かけないようなキャラクターだったり、今どきでもまだ珍しいようなこだわりだったり、芸人と見紛うようなスキルだったり、少女漫画から出てきたようなビジュアルだったり、異次元のスタイルだったり。

うん、よく知った今、詳しく書き出してみても不思議だ。

だから逆にハマりやすかったのかもしれない。

 

正直、生身の人間、きちんと「私たちに幸せを届けること」を本業としている人間を応援するのは初めてに近くて、いろいろな条件が上手く重ならなかったら確実に足踏みしていたと思う。

でもハマるのに時間はかからなかったのはこの不思議なプロフィールのメンバーにも大きな一因があった気がする。

彼らはテレビや雑誌だけではなくてISLAND TVやYouTubeでもたくさん発信してくれていて、意外とすぐに人柄や特徴を知ることが出来て、そういうところもハマりやすかった理由に当たるだろう。

今の環境を作ってくれた事務所、本当にありがとう。

 

そうやって、今どきのアイドルな彼らは私と同じような人々にたくさんファンを増やしているのだろうな、と思う。

 

 

 

彼らは9人の仲間のようで、9人の先駆者のようで、9人の神様のようで。

でもその実、9人のアイドルで、男の子たちで、成人男性と高校生で、特別身近でもかといって離れすぎているわけでもない。

たまに考えるけど、この事実はまだ彼らに実際会って直接姿を確認して、パフォーマンスを見た訳じゃない私からすればなんだかふわふわとした事実だ。

 

 

 

でも、彼らが言ってくれるように、自担が言ってくれたように、今年こそ会いたいと思うし生きていれば会えると思うから、少し会うのが怖いなという気持ちはあるけれど早く会ってみたいな、とも思う。

会ったらどうなっちゃうんだろう、とも思うけど。

 

 

 

彼らを好きになって、彼らを好きな仲間を見つけて会うようになって、毎晩誰かしらと話すようになって、私の華の学生生活というには少し可哀想なくらい色のない1年はあっという間に終わった。

彼らと出会う前には考えられなかったような忙しなさと喜びと、少しの悔しさとそれ以上の興奮を携えて。

 

上手くはまとめられないけど、真っ直ぐにはいかない彼らが愛おしい、これからも今みたいな、いや、今よりも、とんでもないスピードで、駆け抜けて行って欲しいと思う。

頑張って欲しい、と言うよりも私たちと頑張ろうと思えるような彼ら。

この手は離さないし、置いていかないと彼らが誓ってくれたから。

 

 

 

……なんか、上手くまとめようと思ったけど、どう頑張っても自分の言葉じゃうまくまとまらないので、最後はこの間のサプライズ動画に言葉を借りたいと思う。

 

 

 

 

 

すべてが信じられないような1年でしたね。

いろいろなことを一緒に成し遂げて、それでも思い通りにならないことも多くあった。

そんな1年でもあったかと思います。

 

でも、それでも、Snow Manとの最初の1年は、最高の1年でした。

最高に楽しかった。

最高に応援できた。

最高に励まされた。

 

あんなに大変だった2020年でさえ、そんなふうに自信を持って言えるのですから、これから、もっともっと、最高になるってことですよね。

 

Snow Manのこれからをなめるなよ、Snow Manのファンをなめるなよ、そんな気持ちで行きます 笑

 

ひとりじゃない。

そして9人だけでもない。

この1年で強くなった「絆」を連れて、最強の今と最高の未来へ、そう願っています。

 

これからも。ともに。

 

 

 

 

 

Snow Manの1年目を、途中からでも一緒に過ごせて幸せでした!

 

最初で最後で、奇跡で特別な1年目。

 

私のあなた達との1年目もこうやって人前にたくさん出てくる機会が増えたことで始まりました。

 

ここまで、たくさんたくさん頑張ってきてくれてありがとう。

 

これからは私も一緒にその一翼を支えさせてください。

 

 

 

 

 

これからの長い道のりも、これからも。ともに!